震災から6年か。以前、被災地を訪れたときに書いた文章をアップしました。今はどうなっているのだろう。
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次の日は車で志津川(南三陸町)に行くことにした。志津川は震災の甚大な被害があった場所で、町の多くは津波に流されて消失している。
当初、被災地を訪れる予定はなかった。物見遊山のような形で行くのは、亡くなられた方々や、生活の拠り所を失いながらも必死に生きている方々に失礼なのではないかと思っていたからだ。
しかし、登米市から志津川までは車で40分程度の距離と比較的近く、また、被災地の様子をこの目に焼き付けておくことは意味があると思えたので、叔父と叔母に連れて行ってもらうことにした。
峠を越えると、眼下に志津川の町が広がってきたが、見渡す限り何もない。ここには、本当に1年半ほど前に町があり、人が住んでいたのだろうかと思う。
町に近づいていくと、赤茶けた立木が散見された。内陸部まで津波が押し寄せてきたために、塩害によって枯れてしまったのだ。
海岸付近まで来て一旦車を降りる。叔父と叔母から、「小さい頃ここに海水浴に来たのだが、今ではすっかり様変わりしてしまった」とか、「知り合いが車ごと津波に流されて家族全員が亡くなってしまった」などの話を聞いた。津波は町や人だけでなく、人々の記憶すら押し流してしまう。
町の中心部に戻ると、かつて目抜き通りだった場所は建物の基礎部のみが残り、遺跡のようになっていた。建物の跡地には白い看板のようなものが立っている。これは、この地方伝統の「きりこ(切り絵)」で、町の記憶を風化させないようにする試みらしい。
防災センターの入口には千羽鶴や花が手向けられていたので、その前で私たちは合掌した。
その後、「南三陸さんさん商店街」を訪れた。ここは、地元で獲れた水産物などを売るお店が30点ほど寄せ集まっているところで、多くの客で賑わっていた。焼きたての帆立貝やかまぼこが本当に美味しい。
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被災地復興、などと口にするのは簡単だが、実際には途方もなく長い道のりだ。それでも、復興の萌芽を見ることが出来たのは嬉しかった。