語り得ぬものを語る

主に腕時計と鉄道について語るブログです。自分の所有する物や、商品レビューなども書きます。

京アニ事件について

犠牲者が35人ですか。大惨事になってしまいました。犠牲になってしまった方には、深い哀悼を捧げます。

headlines.yahoo.co.jp

今なお想像を絶する事件ですが、どんな人だって、いつこういった事件に巻き込まれるか分からないと思います。

この事件については、多くの人がヤフコメやTwitterやらでコメントしていますが、その多くは「人生に絶望しているのなら1人で勝手に死ね」「これだけの犯罪行為を計画的に行えるのだから責任能力はあるはずなので、法廷で裁いて犯人を必ず死刑にしろ」といったものです。あとは、「35人も殺す人を生かしておく価値はないから助ける必要はない」といった発言でしょうか。

どれも理由あっての発言だと思いますし正論だと思います。しかし、この手の犯罪の抑止には繋がらないでしょう。犯人は自暴自棄になって死をも恐れない、いわゆる「無敵の人」ですから、一般的な感覚から責任を問うても虚しい結果になります。むしろ犯人を精神的に追い込むだけでしょう。

犯人の動機は何でしょうか。本人の口から明らかにされるかは不明ですが、想像するに、京アニに強い恨みを持っていたことから、孤立した状態で何らかの不満や恨みを募らせて、それが一気に爆発したということでしょうか。アニメに興味がある人なら、京アニで働く人は憧れの対象で恵まれた人に思えたことでしょう。そういった人と我が身を比較し、劣等感を募らせていったのかもしれません。

仮にどんな動機があったとしても殺人は許されません。ましてや無関係の人に危害を加えるなど論外です。しかし、川崎の通り魔事件にせよ、無差別テロが頻発している現状を考えると、事件や犯人を断罪したり社会的な論評を加えるだけでは足りないことだとも思うのです。

それは一体何でしょうか。難しいことですが、こういった犯罪を犯してしまう根底には何があるのかを深く考えることだと思います。事件を起こす人には明らかにどうしようもないような人も居ると思います。しかし、深い孤独や絶望に苦しんでいる人も居るわけで、少しでもそういった人の気持ちを想像したり、時には困っている人には手を差し伸べてあげたりすることが大切なのではないかと思います。