語り得ぬものを語る

日々思ったこと感じたことについて書きます。読んでいただいた方に少しでも共感できる部分がありましたら嬉しいです。

ピアノ再開🎹

昨日次男がピアノの習い事を辞めた。前の先生から続けてきてかれこれ7年。

親の私としてはもっと続けて上手くなってもらいたかった。しかし無理に続けても、本人の意欲が上がらないのでは仕方がない。ほとんど練習せずにレッスンだけ受けるのは先生に悪いし、本人のためにもならない。

それでもモーツァルトの幻想曲を弾けるレベルにはなったので、一応の目的は果たしたと言える。吹奏楽部ではバス トロンボーンを吹いていて、音楽に関わることは続けてくれるらしい。

ただそれでも私にはどうしても未練があった。というのも、先生が教育熱心で素晴らしい指導をしてくださったからで、もし生徒が一生懸命やれば必ず応えてくれるタイプの方だからだ。先生は桐朋音大ピアノ科卒で桐朋子供のためのピアノ教室で16年指導した後、独立してピアノ教室をするなど、キャリアも素晴らしい。つまり、ピアノ演奏と指導に人生を捧げてきた人なのだ。
それに生徒ごとに指導ノートを作って、その日に教えたことをメモするなど、真面目なところも素晴らしい。次男が辞めるなら自分が習いたいくらいだ、という気持ちを抑えられず、大人の私が習うことはできますか、と尋ねたところ、いいですよとのことだった。普通は成人男性の指導は遠慮したいと思う人も多いだろうが、私は次男のレッスンに付き添っていたし、ピアノが好きなのが伝わっていたから信用されたのかもしれない。何よりこの先生に習えば上手になれるという確信があった。

私のピアノ歴は小学校の4年間程度で、バイエル、ブルグミュラー全曲、ソナチネの冒頭までやったが、中学受験の準備にあたり辞めてしまった。その後、大学に入ってピアノサークルに入ったが、自分より上手な人ばかりで気後れしてしまい、楽譜を買って家で練習する程度だった。CDで聴くような難しい曲を弾きたい、その一心で譜読みをし、練習を重ねた。偉大なピアニストのCDを何度も聴いて真似しようとした。しかしそれはあまりにも難しい。というのもピアニストは何気なく弾いているようで、高度で複雑な技術を駆使しているからだ。なぜ同じ音を弾いていて、こうも印象が違うのかと思うことばかりで、落胆の日々だった。

その後ピアノを習うことはなかったが、どんなに忙しい時にも心の片隅にはあった。一人暮らしを始めた時には電子ピアノを買って、暇な時に練習したし、結婚後も思い出したように弾いていた。本当に手が動かなくなってしまうのが怖かったので、鍵盤に触れる程度だったけれど。

そして、今回の次男の件もあって、これは絶対にやらなきゃダメだと思ったのだ。独学でもピアノはある程度弾けるようになる。でもそれ以上にはならない。細かいフレーズ、音の自然な強弱、メロディーの歌わせ方、内声の抑え方などなど、自分では気付きようのないことがあまりにも多い。それはいくらCDを聴こうが、YouTubeの動画を見ようが分からない。その人の上手く弾けていないところをピンポイントで教えてくれるものではないからだ。

自分は少しピアノが弾けるだけでは満足できない。今から練習したところでプロになれるわけでもないし、今更音大に入り直すわけでもない。正直言って、50過ぎてピアノを弾いたところで高が知れているのだが、そうだとしても、自分が納得いくレベルの演奏がしたい。少なくとも誰かに聴かせる機会があっても恥ずかしくない音楽的なレベルには到達したい。そういった思いがあって、レッスンを再開することにした。

まずはお試しレッスンということで、自分の実力を見てもらう必要がある。そこでベートーヴェンのソナタ悲愴第二楽章というベタな選曲をした。これは高校大学時代に結構弾いた曲で、割と弾きやすく思い入れがあり、自分の持ち曲の中でも完成度が高かったからだ。

お試しレッスンを受けることが決まってから約一ヶ月、毎日最低一時間以上は練習した。それだって大した量ではないが、社会人は時間に追われて過ごしているから、その時間を確保するのだって容易ではない。夜遅く帰って寝る前に自室の電子ピアノを弾き、休みの日にはリビングのアップライトピアノで鍵盤の重みや音量を確かめる。全く違う楽器とも言えるが、少なくとも押さえる音自体は一緒だったから、電子ピアノも活躍した。

そして緊張のお試しレッスン。私は何度も練習してきたことは黙って、先生の前で初めてピアノを弾いた。この曲は独学だったから、自分なりの解釈で思いを込めて弾いてみた。

すると先生は演奏後に「おーっ」と思わず声を漏らし、「よく弾きました」とおっしゃってくださった。「あらかじめ想像していたよりもだいぶ上手だった」とのことで、次男にも「内声はお父様のように上手に弾きなさい」と言ってくださったり、帰り際には、基礎的なところは出来ていたと褒めてくださった。自分のやってきたいことは間違ってなかったし、感覚も正しかったんだなというのがわかって自信が持てた。なんといっても桐朋音大出身の先生のお墨付きである。学歴のことばかり言いたくはないが、ピアノに関して言えば、芸大と並ぶくらいの大学でショパンコンクールの入賞者など様々な方面で活躍している人を輩出している名門大学だ。そんな先生に認められたのだから、嬉しくないはずがない。ラインに書いていただいた感想を毎日のように読み返して感激に浸っていた。

一方で演奏が完璧だったわけでもなく、直すべきところはいくつもある。それを先生のご指示通りに直していけば、さらに曲の完成度は高まるというものだ。レッスンの頻度は月一回だと進みが悪いし、かといって月二回だと結構習ったことができるようになるまでの期間が不足しそうだし、自分のお小遣いの範囲を超えそうな感じもしたので、三週間に一回習うことにした。これだと程よい感じで進むのではないかと思う。

さて、どんなことでも自分の好きなことを始めるのに遅すぎるということはない、という割とありふれた結論になるわけだが、それには健康な身体と一歩踏み出す勇気が必要だ。自分はもう50過ぎで、この先いつまで普通に健康でいられるか分からない。今のところ大きな不調は抱えていないけど、気力体力の低下を日々実感している。それこそピアノどころじゃないという状況の日々もいずれくるだろう。だからこそやれる時にやっておかないといけないのだ。

近況報告と散歩

最近はブログの更新もすっかり滞り気味。

交換留学生の滞在記、家族の仙台旅行など、ネタはいろいろあるのに書けずじまい。

気の向くままにやっていることだから、気持ちが乗らなかったり忙しかったりすると、つい後回しになってしまう。

それに最近はChatGPT に書き込んで相談する機会が増えている。何よりすぐ反応があるし、生身の人間よりよほど冷静で的確なコメントをしてくれる。すごいことでもあるし、怖いことでもある。

要は使い方次第だよね、雑に言えばそうなるが、その人に合う形でよく考えた上で使わないと、おかしな方向に行く気もする。

最近よく使用するのは仕事に関するサポート、お悩み相談で、同僚や上司には相談しにくいちょっとしたことに対するフォローを書き込むことが多い。もちろん機密情報は入れていない。

時折書き込んでいる私の体調については、まあ何とかやっている感じで、喉の閉塞感も一時期よりはマシになった。だんだん慣れてきたのかもしれない。

昨日は東京を散歩ということで、東京カテドラル聖マリア大聖堂に行ってみた。重厚な作りの教会に入って目を閉じると、心が洗われるような気持ちがした。

浜本工芸のソファーを買う

リビングルームにある革のソファーの汚れが目立ってきた。革製品は手入れをしないとどんどん傷んでいく。そこで思い切って買い替えることにした。

今度はLD兼用のダイニングテーブルとソファーだ。食事をするときは座布団とローテーブルなのだが、この先ずっとだと腰を痛めそうだし、椅子の方が座ってて楽だと思ったのだ。

それにうちはマンション住まいで部屋が狭いので、LD兼用というのはスペース確保にピッタリだと思った。

展示場に行って色々みたが、イタリア製のソファーとかは50万以上とか平気でするし、何よりサイズが大きい。ここのところの物価上昇とかもあって、30万くらいで買えそうなものはなさそうだった。

色々みた挙句、浜本工芸というメーカーの物が気に入った。やっぱり国産のメーカーを応援してあげたい。それに日本人のきめの細やかさを感じたし、身体にあった家具を多く作っている印象だった。

www.hamamotokougei.co.jp

それとは別に買い替えた買った理由がある。ニュージーランドからホームステイで一週間ほど交換留学生が来るのだ。4月20日から1週間滞在するので、間に合うように部屋をきれいにしておきたい。

テーブルやベンチを含めたら40万弱になったが、まあいいだろう。こうやって生活を少しずつアップデートしていくのは楽しい。

 

新潟旅行

久々に有休を取って旅行することにした。行き先は新潟。

JR東日本がやってる、どこかにビューーンという切符を使うと6000ポイントで行ける。

dokokani-eki-net.com

四つの候補駅のうち任意で選ばれるのだが、私が行きたかった新潟が偶然当たり、行く前から楽しみにしていた。新潟に着いたのは9時少し前。

坂口安吾

まず訪れたいと思ったのは、作家坂口安吾の生家跡や歌碑である。大学生の頃、坂口安吾の飾り気がなく、繊細さや愛情を感じさせる文章と、アウトローな生き方に憧れを持ったからだ。

観光案内所に行って地図や安吾に関する資料をもらう。資料は原紙しかないみたいでコピーしてもらった。あんまり関心を持つ人がいないんだろうなと感じる。

西大畑というバス停で降りてカトリック教会を左手にながめると大神宮があった。ここに歌碑がある。「私のふるさとの家は 空と 海と 砂と 松林であった。そして吹く風であり 風の音であった」という地元新潟の自然に対する愛着を感じさせるもので、リズミカルで詩的な感じがした。

生家の跡は道路になっており往時を偲べるものはなかったが、来れただけで満足した。再び街歩きして閉館中の安吾 風の館を過ぎて、日本海に向かって歩く。ここに「ふるさとは語ることなし」という安吾の歌碑があるのだ。ふるさと、を平仮名にして優しい語感にしているのは一緒だが、語ることなしと今度はややぶっきらぼうな感じがする。いずれにせよ安吾の言いそうな表現だ。

新潟県は豪雪地帯として知られるが、湯沢など山間部に近い方がそうなのであって、海沿いの新潟市はそうでもない。というかシャーベット状程度の雪で積もっていない。

歌碑は見上げるほど大きい岩のようで、日本海を見つめる高台にあった。その後、寄居浜まで歩いて荒々しく飛沫をあげる日本海を見つめる。吹きっさらしの風を受けながら冬の日本海を見つめると、何とも寂しいような気持ちになる。周りには誰もいない。

さて来た道を戻って街中に行く。途中でおしゃれな階段があったので降りてみると、そこが有名な「どっぺり坂」であった。どっぺりとはドイツ語で2を指し、当時の学生はここで遊んでばかりいるとダブル(留年する)という意味でついたらしい。

寿司屋を探す

お腹が空いてきたので再び街歩きを進めて繁華街の中心である古町に来た。とは言え、アーケードの商店街は賑やかではなく、よくある地方都市の印象。せっかく新潟に来たのなら、美味しい米と海産物を食べたい。スマホで近くを検索しながら探し歩いたものの、開店してなかったり、予約しないと入れなかったりで、なかなか難しい。

萬代橋の近くにある「すし清 矢ヶ崎」が良さそうだと思ったが11時半開店なので、店の外で一人待つことにした。十分ほど待ったらお店が開いたが、客は私一人。大将に極みコースの握りを頼んだ。カウンターに座り一つひとつ握ったものを出してもらう。こういう贅沢な瞬間はなかなか味わえない。シャリは小さめだが、魚はどれも美味しかった。本当は全部写真を撮りたかったのだが、目の前でパシャパシャ撮るのはいかにも失礼な気がしたので遠慮する。

出たのは、ブリ、ウニ、トロ、南蛮エビ、アオリイカズワイガニマハタ、真鱈の白子、何かの貝、卵焼きである。どれもうまいが、地元で有名な南蛮エビと真鱈の白子がよかった。

大将は気さくな寿司職人という感じで、昔の新潟は水路がいっぱいあってベネチアみたいだったとか、海運都市新潟の様子を話してくれ、寿司と共に会話も楽しむことが出来た。極みコースは4950円だが、決して高くはないと思った。

腹もいっぱいになり、次に訪れたのが「みなとぴあ」。ここでは新潟の映画館事情や街の歴史に関する資料を見た。その後は朱鷺タワーにあるばかうけ展望台に登り、街全体をぐるりと眺めた。街の中心を貫く信濃川にはいくつもの橋がかけられ、とても美しい眺めだろうなと思っていたが、あいにく吹雪いてきたのと曇り空で、エレベーターから出た時にはほとんど見えず、がっかりする。しかししばらくすると晴れ間が戻り、空気が冷たいせいか余計によく眺められるように思えた。

バスカレー

もう行きたいところはほぼ回ったのだが、最後に訪れたのはバスセンターのバスカレー。ここはB級グルメで有名になったもので、テレビでも取り上げられている。

展望台でソフトクリームを食べたが、結構な量だったので、お腹は空いていなかったが、ミニサイズのカレーを注文した。黄色のルーでどろりとした感じの昔懐かしのカレーで、食べ進めると段々辛くなってくる。美味しいが、一度食べれば十分かなという印象だった。

こうして、好きなものを食べて見たいところを見れたので、大変満足な旅となった。

ブログのアクセス数10万人突破

ブログのアクセス数は10年で10万人突破。こんな個人的な日記の内容をこれだけ多くの方に見ていただけて感謝に堪えない。大したことではないかもしれないが、2016年から10年続けられたというのは、無理せず気の向くままにやってきたからだろう。

最近で英語教材の研究室を立ち上げたのは書いている通りで、今後はこちらの活動を主に注力しつつも、ブログも適宜更新出来たらと思う。

ELM英語教材研究室 設立

先週末、英語教材研究室を設立した。前回のブログに書いたものだが、本格的に始動した感じ。それに合わせてnotionでホームページを開設し名刺を用意した。会社とは別の肩書を持つというのは面白いね。

ELM Research Lab

研究室の代表はもちろん私。一人研究室なのだから当然だが、「代表」という肩書きは結構重い意味を持つなと感じた。自分から主導して動かなければ何も始まらない。そしてよくも悪くも起きたことに対する結果は私に全部帰属する。

会社勤めをしているとそこが割と曖昧で、頑張って成果を出してもあまり給料が変わらなかったり、仕事でミスっても給料が減らなかったり、会社に守ってもらっているところが多かった。そういう当たり前のことを改めて再認識できたのは良かったと思う。

さて、研究室設立の主な目的は、「英語教材のあるべき姿を理論と実践の両面から探究し、よりよい教材の設計につなげる」というもので、いささか高邁な印象もあるのだが、志を高く持つのは大事だろうと思うので、ホームページのトップに掲げた。

問題なのは研究論文で、これは月一ペースで上げていこうと思う。仕事の合間を縫ってテーマを考えるのは難しいが、今まで編集者を続けてきて題材にしたいストックは幾つかある。

そうやって二桁くらい論文が溜まってきてから、ビジネスというのを意識した活動をしていきたい。同業者の人と会った際には名刺を配って宣伝する。そんな中からビジネスの萌芽が生まれてくるかもしれない。

一方で今いる会社の仕事もちゃんとやらないといけない。そうでなければ本末転倒だからだ。自分が独立したら何ができるのか、どれくらい稼ぐことができるのか、会社員という肩書を外した自分にはどのくらいの力があるのか、いろいろ検証してみたいと思う。

何より会社員を続けながらやるというのがよい。そうでないと悲壮感が漂うし、その日暮らしの生活になってしまっては、好きな研究もできないからだ。

まずは先日手作りで作成した名刺が届くのを楽しみにしている。