語り得ぬものを語る

日々思ったこと感じたことについて書きます。読んでいただいた方に少しでも共感できる部分がありましたら嬉しいです。

時計とピアノ

時計とピアノ。私の日々の生活の癒しです。今日は祖父の形見の時計オレオール。ピアノを弾くときは手首に負担をかけたくないので外します。私が今この時計を使っていることを知ったら、祖父はきっと懐かしがって喜んでくれるかなと思います。

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今日の時計:フォッシル ツイスト

時計の電池交換を頼んだら、3つのお店に断られた。1つ目は合鍵とかを作る店。時計の電池交換も承るということだったので、フォッシルのツイストを見せてみたら、「これは自動巻じゃないですか?」と言われた。
「いえ、自動巻きは秒針だけで、時針と分針は電池なんです」と説明したところ、「ネジが小さすぎて、ドライバーで開けるのは無理」との回答。
そこで、時計を売っている店に持って行ったのだが、やはり「自動巻じゃないですか」と言われた。この時計は自動巻きの味わいと、クォーツの精度を楽しめる面白い時計なのだが、特殊な構造をしているせいか、お店の人も二の足を踏んでしまうみたい。「電池交換で壊してしまうかもしれないので自信がない」のだそうだ。。
諦めきれず3店目に某時計専門店に持って行ったが、「この店には技師がいないのでメーカー修理に出さないと無理」と言われた。しかも電池交換に5000円くらいかかるとか、1〜2ヶ月かかるかもしれないとのこと。
そこまで断られると、自分でなんとかしてみようという気になり、試しにうちのイギミ商店の工具で開けてみようとしたが、ネジの1つだけ妙に硬くて開かない。

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苦心惨憺の末、なんとか開けた。中のムーブメントはこんな感じでクオーツと自動巻きが両方入っている。しかし、電池の裏蓋に合うドライバーがない。ここで断念するしかないか。。

f:id:reversoduo:20191020210553j:plain小さすぎるネジ。無くしたら二度と見つけられない。

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手持ちのドライバーでは無理なので、観念して裏蓋をとじる。まあ色々勉強になった。今日使った道具とともに写真を撮った。五十君商店のドライバーを初めて使った。慣れないことをしたせいか神経が疲れた。

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ショパンの命日

今日は次男のピアノ教室に付き添い。先生にも色々指導を受けました。姿勢良く弾き、滑らかに指を動かしなさい、というけれど、なかなか子供にそれを教えるのは難しい。
そういえば、今日はショパンの命日ですな。今練習している「別れの曲」。難しい曲ではあるけど、自分で弾く方がよっぽど気楽だ。
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歳をとることについて

君はもう若くないんだから、と言われることがある。実際44歳だし、その通りだ。しかし、だから何?という気もする。それは変えようもない事実なのだから、言っても仕方がないことではないか。
私は年齢を言い訳にするのが嫌いだ。歳を取るのは誰にも当てはまることで分かりやすいからだ。しかしあまりにも安直過ぎやしないか。体力も気力も落ちてくる。身体もメンテナンスをしないと、少しずつガタが来る。だから、心がけというものが大事で、健康的な生活をしている人と、そうでない人の差がどんどん開いてくる。生まれ持った体質というのもあるけれど、自分の身体をよく知り、労ってあげることが大事なのではないか。
今年の1月から、軽い筋トレを続けてはや9ヶ月。体型の変化と呼べるほどのものはないけれど現状維持はしているし、1つのことを継続できているという自信にもつながっている。ハードなトレーニングを2〜3ヶ月続けてやめてしまうのと、軽いトレーニングでも習慣化して年単位で続けるのでは、大きな違いが出るだろう。

今日の時計:ジャガールクルト レベルソ・デュオ

今日の時計はレベルソ・デュオ。時計好きの行き着く先は手巻き時計、とよく言われるが、レベルソはその時計の最右翼ではなかろうか。自分で自分の時間を巻き上げる、という表現は多分に情緒的だが、その思いを託すだけの価値がある時計だと思う。

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おひとりさまの午後:東京藝術大学美術館

今日は午後ひとりで上野に出掛けた。たまには絵でも鑑賞しようかと思ったのだが、ゴッホ展などはメジャー過ぎて興味をそそらなかったため、手塚雄二という芸大教授の退任記念の展示を観に行った。卒業制作の西洋画に始まり、日本画へ変遷していくさまが興味深かった。こうやって作品群を並べてみると、新たな作品に挑戦していく一人の人間の生き様が浮かび上がってくる。屏風絵などの大作は素晴らしいと思ったが、自分には風景画のスケッチでの方が好ましく思えた。これらの繊細なタッチを見ていると、画家の息遣いが聞こえて来るようだった

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